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2012.07.20

サツマイモ ~植え付け1週間後&ちょっと小話~

 こんにちは、健康栄養学科教員の山崎です

サツマイモの植え付けから1週間が経ちました。
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1週間後のサツマイモの様子。元気に育っています。

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今回は1年生チームの見回りです。そして、今回、健康スポーツ学科1年生の西間木くんも参加してくれました 健康栄養学科1年生女子のサークル仲間です。
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畝の間の雑草とりやごみ拾い。

 さて、「サツマイモ」の名称は薩摩(現在の鹿児島)に由来していることは、多くの方がご存じだと思いますが、今回は、そんなサツマイモの歴史について触れたいと思います。

 サツマイモの原産地はメキシコ南部を中心とする熱帯アメリカとされ、中央アンデスで作物として発達しました。サツマイモの伝来ルートは諸説ありますが、1492年にコロンブスがスペインに持ち帰り、その後ヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジア、中国へと広まったとされています。そのほか、メキシコからハワイ、フィリピンへ伝わったルート、さらに紀元前に南米ペルーから南太平洋の島々へと伝わったルートもあるそうです。

 日本には1597年に中国から宮古島へ入ったのをはじめとして、1605年に琉球(沖縄)の貿易船の役人である野国総官が中国福建省から琉球へ持ち帰った苗を栽培したことから広まりました。

薩摩での栽培記録は、1698年、種子島の19代島主であった種子島久基が琉球王尚貞に懇願してサツマイモを譲り受け、大瀬久左衛門に命じて栽培させたのが最初で、さらに1705年に、山川(指宿市山川)の漁師・前田利右衛門が琉球から持ち帰って栽培に成功し、薩摩全域に広まっていったと伝えられています。

 「サツマイモ」は鹿児島から伝来したことで本州において広く呼ばれている呼び名ですが、中国(唐)から伝来した沖縄・九州では「唐芋」、沖縄から伝来した九州の北部では「琉球芋」と呼び名が異なります。

そしてサツマイモの歴史上、忘れてはならないのが江戸の蘭学者・青木昆陽です。

1735年、青木昆陽はサツマイモが救荒作物として優れていることを『蕃薯考』に記し、これが当時の町奉行大岡越前守を通じて八代将軍徳川吉宗の目に入り、薩摩藩で産出するイモが藩民を飢餓から救済したことを知ることになりました。

昆陽は薩摩薯御用掛の役名を受け、享保20(1735)年に小石川養生所の試作場でイモを公的に試作・栽培し、関東や東日本に広まっていったのです。

サツマイモはその後の天明の飢饉、天保の飢饉でも救荒作物として多くの人の命を救ったと言われています。

では、次の報告もお楽しみに
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