健康栄養学科教員の澁谷です。
僕が大学院時代に大変お世話になった先生が、先日、お亡くなりになりました。
先生の部屋は僕ら大学院生がいた部屋の上の階にありました。先生の部屋の外には光を遮る建物がなかったため太陽の光がダイレクトに差し込んでいました。僕らが先生の部屋を訪れるのは決まって17時過ぎでした。それまでの時間は先生のお仕事の時間なので、僕らは、17時を過ぎてから先生の部屋に伺うことにしていました。
大学院生は決められた年限のうちに一定の成果を出さなければ、その箱から飛び出せないため何かと箱の壁にぶち当たります。実験の方法、実験結果、論文作成、査読結果などもすべてが壁でした。当時の僕は八方にある壁にぶち当たってばかりいました。箱を飛び出す条件である「一定の成果」は論文掲載でした。そのため、他人の論文掲載でさえ小さな壁になりえました。
壁にぶち当たるたびに、僕は先生の部屋をノックしました。先生の部屋はいつも整然としていて、奥に先生自身の机とパソコン、ドア側に四角いテーブルがあり、その周りに4脚の椅子がありました。そのテーブルの脇には、先生ご自身の論文の別刷りや先生が読んだ論文が並べられていました。4脚の椅子に他の大学院生や先生方が座りいろんな話をしました。「大学とは何か」「学問とは何か」などという真面目な話もしました。先生と話をしているといつの間にか日付が変わっていました。当時、先生はすでに60歳を超えていたことを考えると、相当、無理をされていたと思います。大学院を出て、僕は東京にある国立スポーツ科学センターに就職し、先生も大学を退官されました。僕が先生の部屋を訪れなくなって20年近くが経ちました。その間、母校にも何度も邪魔し、先生との何度かお会いしました。
僕が大学院を離れる少し前に先生から「大学の教員になる前に、これを必ず読め」と言われた本が2つあります。「大学の誕生(中公新書)」と「大学の反省(NTT出版)」です。先生の訃報を聞き、改めて、先生が勧めてくれた本を読み返してみました。今の世の中が求める大学像とは違う大学像が浮かび上がり、先生とお話した日々が思い出されました。
大学院における時間の多くが先生と諸先輩方との夕方以降の時間であった気もします。僕にとっての大学院はノスタルジックな時間でした。大学院生活とは指導教員やその周りの先生方、そして、先輩方との時間でもあります。それらの方々から多くのものを学びます。学ぶべき先生を見つけたら、その時は、大学院に進んでみるのもいいかもしれません。