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2023.01.27

森鷗外とビタミン

 教員の遠藤です。

 森鷗外(林太郎)を知らない人はいないでしょうが、文学面での名声が高いためか、彼が陸軍軍医総監(医官としてのトップ)であったことを知る人は稀であり、軍隊食について、ほとんど唯一と言ってもいい汚点を残したことは、まず知られていません。

 彼が軍医総監になる前から、日本軍にとって最大の悩みは「脚気」でした。この病名を知る人も、今ではほとんどいないでしょう。また脚気の検査は、膝のお皿(膝蓋という)直下の腱を、先が三角形のハンマー状のもので叩いて、ピョンと挙がるかどうかを診るのですが、皆さんのご両親でも、この検査を受けた方は少ないでしょうね。

 しかし、江戸の元禄時代から、脚気は日本人の間に流行?していきます。流行というと感染症を考えるでしょうが、私の専門である疫学(免疫学ではありません)では多く認められる病気を流行病と呼びます。

 何故かというと元禄の頃から人々は、玄米よりもだんだん白米を好むようになってきたからです。当時参勤交代で「江戸詰め」となった武士の多くが、「江戸患(わずら)い」に罹(かか)るのですが、不思議なことに自藩地に戻ると、まもなく回復するのです。ただし、

将軍の若死にの原因はほとんど、「衝(しょう)心」と呼ばれた脚気心でした。

 この問題に関して森鴎外は、「感染症説」を唱えます。彼はドイツに留学し、細菌学を土台とした近代衛生学の父、ペッンコーファーに師事したわけで、前述した流行病=感染症と考えたのは、無理のないところだと思います。

 一方、海軍の軍務局長(総監にはなれない)の高木兼寛はイギリスに留学し、イギリス海軍がビタミンC欠乏に対して、ライムやレモンの果実が有効であったことを証明したため、海軍での洋食化を提唱しました。

 この辺の詳しいことについては、入学後さらに学ぶことになるかと思いますが、図を見ていだければ洋食化によって、発生率も死亡率も急激に減少したことは明らかでしょう。

 しかし、軍医総監の森鷗外はこの結果を無視しただけでなく、高木兼寛は下野せざるを得なくなり、後に東京慈恵会医科大学を設立することになります。経緯については、吉村昭氏著の「白い航跡」を読むことをお勧めします。

 ちなみに脚気の原因は?ビタミンB1であり、発見者も日本人の鈴木梅太郎(1911)でした。江戸患いの原因は?、胚芽を除去した白米の過食だったのです。もちろん今は、ビタミン強化米によって脚気は激減しました。しかし過激なスポーツで、ジャンク・フード好みの高校生の間には、稀に見られると言います。

#その他